その他の「鉄っぽい物70」
本文:第三編集局 ツッコミ:彩葉
「70」。この数字を冠する鉄道車両の系列は「69」などの半端な数に比べ非常に多く存在します。ここでは本文で取り上げられなかった系列・形式を紹介します。参考資料は主に「フリー百科事典 Wikipedia」http://ja.wikipedia.org/ です。百科事典という事からあらゆる事柄の解説が収録されており、鉄道関連については車種のみならず路線や駅などについても非常に多数の記事があります。また、鉄道関連に限らずあらゆる分野の非常に多くの記事があり、読んでいて飽きないものです。興味のある方はご覧下さい。
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…うがぁ!Wikipediaか?今回ネタにしたのにぃw。
国鉄70系客車
旧国鉄の「戦災復旧客車」。終戦直後の混乱期の旅客輸送力不足を補うため、戦災を受けた客車・電車の台車・台枠・鋼体を再利用して車体のみを新製し製造された車両。区別のため形式は70番台の番号を付されていたことから便宜上70系客車とも呼ばれる。1946年から1948年に掛けてオハ70形、オハ71形、オハフ71形、オハ77形の4形式が合計298両製造された。
接客設備が劣悪であるということから旅客輸送需給が安定した1950年頃からは順次旅客輸送の用途から外され、荷物車・郵便車の代用として使われるようにり、1954年までにすべて正規の荷物車に改造された。1960年代に入ると救援車・配給車などの事業用車に改造され、事業用車に改造されなかったものは1969年までにすべて廃車された。事業用車に改造されたものについては、国鉄の車両基地の統廃合が進められる1985年頃まで一部が残っていた。
現在はスエ78 15が保存運転用としてJR東日本高崎車両センターに車籍がある。このほか、小樽交通記念館にスエ78 5が静態保存されている。
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まさに「百鬼夜行」の一言。4形式198両というのも、便宜上、書類上にすぎないっつーか、全貌がつかみきれないっつーか。客車を趣味にする者に語らせると、夜が明けます。
国鉄70系電車
1951年から1957年に掛けて合計282両が製造された近郊型電車。製造当初は横須賀線、京阪神緩行線、阪和線、中央東線などで活躍。80系電車と同様の「湘南スタイル」の正面デザインだが、3扉デッキ無しの車体、セミクロスシートの内装、旧系列との混結を前提とした設計であるなどの違いがある。上記路線に111系などの新系列電車が投入されてからは新潟地区や中京地区、両毛線、仙石線、呉線などに転配属された。
1970年代後半から老朽化等に伴う廃車が始まり、1981年福塩線を最後に引退。
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元祖「スカ型」ですね。
国鉄ED70形電気機関車
1957年に登場した日本で最初の量産型交流用電気機関車。1955年からの仙山線での交流電化試験の結果を踏まえ、三菱電機製ED45形電気機関車を元に改良し量産した系列。1957年10月1日の北陸本線田村-敦賀間の交流電化に合わせ18両が製造された。また、1959年に改良型として19号機が追加製造され、合計19両が製造された。
主回路構成は交流20000Vを変圧器で降圧し、水銀整流器(イグナイトロン)により整流して直流モーターを駆動するもの。低圧タップ切換と水銀整流器による位相制御を併用し、これにより4軸駆動で6軸駆動の直流電機並の粘着性能を持つとされる。駆動方式はED60形でも採用されていたクイル式で、電車のカルダン駆動と同様に主電動機が台車装架となるが、ギアボックスを密閉できないため大歯車のスパイダ穴にたまった砂や埃による磨耗から噛合いが悪化することで異常振動が多発するなどの欠点が明らかになり、その後の電気機関車は再び吊掛駆動方式とされた。
北陸本線のみで運用されたが、1974年に湖西線が直流電化で開業したのに伴い、北陸本線では交直流電気機関車を中心に使用していくことになり、1975年までに全廃となった。
現在はED70 1が長浜鉄道スクエアに静態保存されている。
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我国交流電化の立役者。とはいえ、車齢18年で廃車というのは短いですねぇ。動力変革で生まれ、分散化で消えたといった所でしょうか。長浜の保存機は屋内で今ひとつ撮影しづらいです。
JR九州キハ70形(キハ71系)
「ゆふいんの森」用気動車キハ71系の中間車。1989年改造、当初はキハ71 1-キハ70 1-キハ71 2の3両編成だったが、1990年に中間車一両(キハ70 2)を増結。
中間車のキハ70 1にビュッフェを設置しており、2006年3月現在、JR特急車両で唯一のビュッフェである。増備された中間車のキハ70 2は改造当初は客室の一部がアートギャラリーになっていたが、2003年のリニューアルでサロンスペースに改造された。
車番の新旧対照は以下の通り。
キハ70 1(2号車)<キハ58 490
キハ70 2(3号車)<キハ58 436
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キハ58改造、つまり、未だに特急用にオールコイルバネ台車を使い続けているという外観(と収益)にそぐわない足腰の持ち主。
東急デハ70形電車
東京急行電鉄軌道線(玉川線、砧線、世田谷線)で運転されていた電車。1942年から1946年に掛けて8両が製造された。
製造後にも集電装置の変更、連結2人乗り・片運転台化、扉の改造などを受け、1969年の玉川線・砧線廃止後は世田谷線用車両として残る。その後も車体更新、前照灯のシールドビーム化、台車交換(平行カルダン化)などの改造を重ねてきたが、高床ステップ付車体、非冷房といった点は最後まで改善されなかった。
1999年から世田谷線に低床車体・VVVFインバータ制御のデハ300形の投入が開始されたにより2000年末までに全廃。台車は交流誘導電動機に換装・整備のうえ、300形に流用されている。全車が解体され保存車両は無い。
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風の噂では、冷房化改造の構想があったそうです。半鋼製車体の為、屋根全部作り直しになるのと、ノンステップ化の要請が出たため、台車転用で300系新造に至ったそうで。
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Published on 2006/08/12 / Last updated on 2019/08/01
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